【感情の糸を操られるな】他人に感情を動かされる人へ届けたい。

おはようございます。

表題の通りなのですが、私自身もまだまだ未熟なため中々どうして、これが難しいのです。
それでもそんな自分を少しでも変えたくて、常に考えています。
今回はそんな自分の考えを書いていきますね。

は?心の糸?どういう意味だよ?と思うかもしれませんが、こんなシーンを想像したら心当たりがあると感じるかもしれません。

街中を歩いていて、見かけるこんな人たち。

唾を道端に吐き捨てる人を見た時。
タバコやゴミをポイ捨てした人を見た時。
立場の弱い人(店員等)に大声でクレームを入れている人を見た時。

あなたの心は揺さぶられませんか?

私は揺さぶられてしまいます。

  • 嫌なものを見てしまったな。
  • 汚いな。
  • ポイ捨ては許せない!
  • 店員さんが可哀想だな。

なんて思ってしまう。
でも小心者だから、それを咎めることができない。

…いや正確にいうと、数年前には【それは違うんじゃないんですか】と話しかけることもありました(武勇伝じゃないですよ)。

経験から話すと碌な目に合わなかったです。
大抵こんな言葉が返ってきました。
【は?お前には関係ないだろ】
【今、ゴミ箱に捨てようとしていただけ、置いただけなのにうるさい】
なんて。

はっきりいって上記のことを一目に憚らず行なっている時点で、まともな人ではないのだから、当然といえば当然なのですが。

この記事の趣旨とはずれますが、こんな人たちでも簡単におとなしく、嫌なことを言われず諌める方法もあります。

それは相手よりも強靭な肉体を持った上で伝えることですね笑
自分よりも圧倒的に大きく筋肉モリモリの大男に言われたら引き下がりますし、悔しそうにしながらも、何も言い返さずにその場を去るでしょう。

人間は所詮動物なので、こんなもんなのです。

簡単にとかきましたが、それはあくまで上記のスペックを持った選ばれし人間のみ。数年前の私はヒョロガリなので相手に舐められまくるわけです。


そんな私の一声でも、一応持ち帰ったり(唾はもちろん無理だけど笑)はするが、高頻度でそんな言葉を投げられた此方としては、非常に嫌な気持ちになったり。

そんなことが繰り返されると、心が折れてしまい、もう注意もできなくなりました。

当然人類皆好き放題生きていたら世紀末になってしまうので、それを肯定しているわけではないですよ。

あくまで世間がイカれててつれえ.…私が、俺がおかしいのか?!って思う時に意識していきたい【事】を書いていきます。

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まずは受け入れる。【こんな人もいる】という事実を。

外に出れば上記のような、とんでも人間に出くわすことは多いです。
現代においてはスマホからでもそんな情報が目に飛び込んできます。

〇〇市で〇〇事件!だとか、不良外国人の狼藉、政治家の汚職云々…

ありえない!とか、こんなことを許している世の中がおかしい!と思うことで自分を追い詰めてしまってはいませんか。

もっとスケールを小さくして自分の身の回りの人にも、そのような感情を抱くことがあるかもしれませんね。

私自身も、自分の身の回りで起きたことだからこそ注意していましたし.…
注意された方もおそらくは、私のことをうるさい正義マン(笑)と思ったことでしょう。

言い返されて此方も疲弊して。
バカげたことにお互いに、お互いを潰しあっている。

そう、お互いに理解して分かり合えることなんて難しいんです。
全く違う人間がいることを受け入れる。
これが自分のメンタルを守り、壊さない第一歩だと思います。

受け入れることができないと、どうしても気になってしまい、これらの人が近くにいるだけでも心が乱れてしまいます。
私もそうでしたし、その傾向が今でもあるのでよくわかります。

こうなると大変。
街に出るだけでも心が本当に疲れてしまいます。
家に戻るともう、ぐったり.…

近年ではHSPなんて言葉もありますが、周りに傍若無人に振る舞う人がいる、それを見るだけ感じるだけでもしんどいと思います。

そんな人もいる、とありのままをただ受け入れる。
とはいえ【相手の方が間違っていると思う。】
根底にあるこの感情によって、受け入れることが困難になっていると思います。

自分が正しいと思い込まない訓練

世間やインターネットで見た【過ち、誤り】を逐一直そうとして、躍起になってしまっていませんか。
また直してやる!とまでは思わずとも、そんなニュースばっかり見てしまって怒ったり、悲しんだりしている人は多いはず。

そんな傾向があると少しでも感じたら、少しずつにでもその習慣をやめるように意識を向けた方がきっと幸せになれます。

あなた自身をいじめる習慣と言い換えられるほど、悲しい習慣です。
まず第一に相手は違う人間です。
自分の思った通りに動くことも、考えることも無理なのです。
訂正しあっても分かり合えないのは当たり前なんですよね。

ついつい自分が絶対に正しいと思い行動したり感情が動くのですが、実は相手にとってもそれは同様のことだと思います。

自分からしてみれば当然のことを、非常識化のように咎められたら誰だって怒ります。

自らバトルを仕掛けたり、相手の考えを指摘したりすれば争いが起きるのも当然といえば当然.…
何か行動する前に必ず逐一あなたに相談してから行うこともできませんしね。

実は変えられるには自分自身だけ

何を当たり前のことを.…と思うかもしれませんが、気にしてしまっているうちは【相手を変えてやりたい】という意識が根底にあるからだと思います。

家族であっても相手を変えることなんて烏滸がましいし難しいです。
ましてや他人ならもっと。
自分自身と同じように感じ行動するなんて事、相手は絶対にしてくれないし、できないんですよね。

いくら怒っても、指摘しても、諭しても、泣いてもクローンでない限り無理なものは無理。
そこでまた【あるがままを受け入れる】に回帰していくんです。

変えられもしない事柄、事象、人に遭遇するたびにヤキモキしてその瞬間を楽しめないことが人生最大の損失です。

究極的には、どんな状況でもあるがままを楽しめたら、それが一番最高ですよね。

実は世間はネガティブに侵されている

ネガティブなニュースや事柄に目が行くのも仕方がないのです。

ニュースサイトやSNS(X等)のトレンドでは、そういったニュースが取り上げられがちだからです。

アクセスや視聴率が集めやすいから、メディアはそのようなニュースを取り上げやすいです。

人間は本能的にも不安を感じやすい傾向があるため、メディアにとってもこれは中々いい手なのです。

そう、世の中はネガティブに溢れているのです。

そんな情報に溢れた現代だからこそ、修正に意識を向けることが重要だと感じます

他人は変えられないけど、自分の考え方は変えられる。

意識して人生をもっと楽しむ技術を身につけていきたいです。

今回はここまで。

読んでくれてありがとうございました‼︎

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