この記事はネタバレを含むので作品を見ていない人はブラウザバッグ推奨。
あくまで見た後の振り返りとしてご活用ください。
最近Amazonプライムのドラマであるゼム、そして続編ゼム【ザ•スケア】を見た。
続編の方はさておき、ゼムはまぁひどい黒人差別。
見ていて不快なシーンも多々あった。(監督、脚本の狙い通りな訳だが)
そんな鬱憤を晴らす映画ないかなぁっと思ってたらあるんですよ。
そんな映画が。
ジャンゴ 繋がれざるもの
舞台は1858年、南北戦争直前のテキサスが舞台。
私もあまり詳しいことは知らないがこの時代は当然のように黒人が奴隷として売買されている時代。
そして黒人たちもそれを受け入れている(受け入れざるを得ない)ように描かれている。
考えることを放棄し、ただ主人の言うことを聞くのみ。それが当然の時代だったし、それが当然の生き方だったから。
そこに疑問を感じる方が異端なのだ。
そんな背景の中ディカプリオが一万人に一人とも例えていたが、黒人の中の逸材ジャンゴが活躍するという活劇だ。
何者でない、ただの奴隷だったジャンゴに知性や品格、そして射撃を授けたドクター•シュルツ。
劇中では残念な幕引きだったが、彼はどうして我慢できなかったのだろうか。
劇中では非常に賢く立ち回り、言いくるめ、そして欺いてきた。
しかし最後の最後で安い挑発に乗ってしまい引き金を引いた。
正直あのままシェイクハンズしてたらジャンゴは奥さんと一緒になり、シュルツも無事。
めでたしめでたしとなるわけ。(脚本のためとか言い出したら元も子もないのでツッコミはなしよ)
一つ言えることは彼は金のためにブチギレだわけじゃないってこと。
キャンディをうまく欺けず逆に上手く立ち回られて1.2万ドルを掠め取られた事にブチギレている訳ではない。
もちろん悔しさはあったろうけども…
要因①ドクター•シュルツ優しさ
終盤我慢の限界寸前のシュルツにフラッシュバックするシーンに、犬に噛み殺された逃亡奴隷が現れる。
キャンディが指示したときシュルツは【見ていられない】と言った様子だった。
そもそも彼に黒人だから、どうとかそういう差別感情は一切ない。
白人も黒人も関係がなく善悪で人を判断しているように見受けられた。
一方で賞金首の白人に対しては子供目の前だろうが倒してしまう残忍さも持つ。
彼は文字通り表面上でなく人の本質で判断する男だ。
キャンディは黒人同士の拳闘(命の取り合い)で目をつぶせなどと残忍な要求をするほど黒人を人と思っていない。
それらの行為の積み重ねが優しいシュルツが嫌悪する対象と見るのは、なんらおかしくはない。
ただキャンディは懸賞首でもなく、当時の奴隷制度を鑑みると口出ししたり止めてしまうのは彼の立場自体を危うくする。
遠回しにやんわりとしかやめさせられないのが歯痒かったのだろう。
一方でジャンゴが奴隷に対して(演技とはいえ)ひどい態度をとると子供に叱りつけるように諭すようにやめるように伝えた。
要因②エリーゼのためにでイライラ
キャンディを撃ち倒す直前の後半は一気に伏線が押し寄せる。
キャンディの姉であるララの演じるハープをやめろとキレ出したり情緒不安定になるシュルツ。
あのハープ曲はエリーゼのために。
シュルツ演じるクリストフはイングロリアスバスターズで悪役のランダ大佐を熱演していたのだ。
メタ的になるが、ユダヤ人を追いかけ回す前世のクリストフがハープの演奏を聞く事で差別主義者であった記憶が蘇って嫌悪感を抱いたのかもしれない。
タランティーノ監督の作品を追っている人だとニヤリとするシーンかもしれないね。
要因③三銃士
キャンディに三銃士は好きかと問いただしていたシーン。
三銃士の作者デュマも黒人との混血だったため、被差別者となる。
そんな彼の紡ぎ出した作品を好きだというキャンディに嫌悪感を抱いた。
ちなみにデュマの父はナポレオンから遺族年金を支払わないという差別?(嫌がらせ)を受けている。
なおデュマ自身は印税でかなり豪遊していたようだ。
黒人を見下し、雑に扱うキャンディが混血とはいえ黒人の作者の作品を本棚に置いているという事にシュルツは【侮蔑したように】鼻でわらう。
握手を拒んだ理由
ドクター・シュルツがキャンディ邸で握手を拒んだ理由は、彼の倫理的なスタンスと道徳的な信念に根ざしています。
- 道徳的嫌悪感: カルヴィン・キャンディ(Calvin Candie)は極めて残酷で非人道的な奴隷主であり、その行為や価値観はシュルツの人道的な信念と真っ向から対立していました。シュルツはキャンディの非人道的な行為に対する深い嫌悪感を持っており、彼と握手をすることはその価値観に反するものでした。
- 人間としての尊厳: 握手はある種の同意や敬意を示す行為と見なされます。シュルツはキャンディを全く尊敬しておらず、そのような人物と握手を交わすことは自分の尊厳を損なうと感じていました。
- 心理的限界: キャンディ邸での出来事(特にマンドンゴファイトやその他の残虐行為)を目の当たりにした後、シュルツは感情的に限界に達していました。彼の拒絶は、これ以上そのような非人道的な行為を容認できないという強い感情の表れでもありました。
これらの要因が組み合わさりドクター・シュルツはキャンディとの握手を拒否し、その結果として悲劇的な結末を迎えることとなりました。
選んだのは彼自身の誇り
後半は作戦が失敗してこと、酷い目にあっている人を救えなかった自分に嫌気、上部のみ美しく内面の醜いキャンディ亭での一連の出来事が重なりシュルツは爆発してしまったのではないだろうか。
あそこで握手をしたら自分の心を踏み躙ることになる。
今までの行為に自分も加担していたように感じてしまうなどといった感情もありそうだ。
誇り高きドクターシュルツに。auf Wiedersehen。
ドイツ語で【再会を期して、楽しみにして】の意味だよ。